仲間はずれ

 

今日、また1つ

 

心の中に澱のようにあった

 

ブロックを見つけました。

 

 

 

 

 

それが「仲間はずれ」というワードで

 

実際に「仲間はずれにされた」というよりも

 

「仲間はずれにされることへの恐怖」が

 

子どもの頃にありました。

 

 

 

 

 

たぶん、小学校3年生頃だったと思います。

 

 

 

 

例年どおり、誕生日の前に

 

「◯月◯日、お誕生日会やるから来てねー」

 

と、クラスメイトに声をかけると

 

「行けたら行くー」

 

という返答。

 

 

 

 

 

で、当日、フタを開けてみると

 

お誕生日会に来てくれた友達は

 

たった1人だった

 

という出来事がありました。

 

 

 

 

 

私が嫌われてたのか

 

本当に都合が悪かったのか

 

単純に忘れてたのか

 

3年生にもなって、誕生日会なんて

 

やらなくなったからなのか

 

 

 

みんなが来なかった理由は

 

謎のままですが

 

 

 

(数人の子たちから、翌日

 

「行けなくてごめんね〜」と

 

 お気遣いいただきました)

 

 

 

 

 

とにかく、子どもながらに

 

ショッキングな出来事ではありました。

 

 

 

 

 

そのせいなのか

 

それとも、生存するために

 

人間が持つ本能なのか

 

仲間はずれにされることに対する恐怖心が

 

ものすごくあったんだなー、と

 

当時は気づけなかったことに

 

今、あらためて気づきました。

 

 

 

 

 

だから、職場でも

 

必要以上に頑張りすぎたり

 

 

 

絶対にミスしないよう

 

自分を厳しく取り締まったり

 

 

 

人の目を気にし過ぎて

 

人を不快にさせないような振る舞いばかり

 

していたんだなぁ、と

 

 

 

 

 

大人になっても

 

「良い子」でいようとし続けていたんだなぁ、と

 

 

 

 

 

自分とつながる前の自分が

 

いかに自分を苦しめていたかを

 

再認識しました。

 

 

 

 

 

以前は、誰かが話している時は

 

全身でそのお話に集中して、聞かなければいけない

 

そうでなければ失礼、と思っていましたが

 

 

 

今では、人が話してる途中でも

 

お水が飲みたいと思ったら、飲む

 

目がシパシパするなと思ったら、目薬をさす

 

唇が乾いてるな、手が乾燥してるな、と思ったら

 

リップクリームやハンドクリームを塗る、と

 

人よりも、自分の身体や心の欲求に

 

すぐに応えてあげるようになりました。

 

 

 

 

 

私と同じように

 

自分より周りを優先してしまう方は

 

たくさんいらっしゃると思います。

 

 

 

 

 

でも、自分を大切にして

 

自分で自分を愛してあげれるようになると

 

社会から「仲間はずれ」にされるのなんか

 

どうでもいいわー

 

という感覚になります。

 

 

 

(むしろ、社会の方も愛してくれるようになる)

 

 

 

 

 

「社会の常識」というブロックを

 

ちょっとずつ外していって

 

自分を解放する喜びを知ってください。

 

 

 

 

 

全く別の人生と言っていいほど

 

いろんなことが大きく変わりますよ。

 

この記事を書いた人

ヒーラー & 米国公認会計士
独自の哲学を展開しつつ、ヒーラーに依存させないヒーリングを提供しております。